家具設計のプログラム「カグメイク」を作りましてん~part1
こんにちは!のりーです。
すっかりブログの存在を油断しておりました。
さて今日からもろもろ書いていこうと思います。
カグメイクというプログラムを自作しました。全6回の記事です。
「何人で作っておられるんですか?」
さんよー「一人です」
「なんで作ったんですか?」
さんよー「わかりません」
というふざけた返答を真面目にする僕なわけですが、なぜこのようなプログラムを作ったか、と、今後どうしていくつもりかを書いてみようかなと思います。
まずぼく個人ですが、もともとはずーーーっと不動産屋でした。
中でも資格大好きで、一応宅建村では一番上かなあ?の、「宅建マイスター」を持ち、今でも判例はかなりそらんじる事が出来る不動産のヲタクでした。
https://www.retpc.jp/meister/about/
そんな自分がなんで家具?なんですが、色々あります。
社員やその当時を知る仲間が居る時にしか話せないくらいの事が、前の不動産屋を辞めた日に起きたんです。3つの大事件のうち一番ソフトなもので言うと、一番自分をかわいがってくれた恩師が死んだりだとか・・・(汗
で、僕が住んでる「広島県府中市」は、旭川、飛騨、静岡、徳島、大川、府中という六大産地の一つで、小さいころは紛れもなく「家具のまち」でした。
今は、家具の材料を買うにしても、府中市内で揃わない。納期が当日だったものが4日~5日待たなきゃいけない。「元家具のまち」いや、「お好み焼きのまち」になってます。
そんな中で、辞めた日に事件が起きたのも起きたで2年たった今でも、「すげかったな~どんだけ前世で悪いことしたんじゃろか」と思うわけですが、その中でも今の会社に在籍して立て直そうと思った最もでかい理由は不動産時代の僕の後悔にあります。
もともとは67社あった府中家具工業組合の組合員も、今や15社になってます。組合員だけで50社減ってます。廃業ならまだいいけど、倒産破産等もありました。
自分も経営者として、倒産や破産は別に構わないと思います。自業自得というか、そもそもそれを織り込み済みで経営者をしているわけですから。ある程度同情はするけどしょうがない。
ただ、一つ困るのは社員さんですよね。
社員さんは、ある日突然来たら入口にロープがしてあるわけです。
ある日起きたら会社が閉まってて、「今日中に出ていけ」くらいの勢いで社宅を追い出されるわけです。
不動産の中でも賃貸もかなりガリガリしていた僕は、「良くない人は入居させない。させたらほかの良い入居者が居なくなってしまう」と、貯金も無くて職もない人の入居を断ったり、レオパレス社などの物件を紹介するだけでまあ日本語で言うところの、「厄介払い」をしてました。
ただ、元家具のまちとしては、自分の親族の介護だとか、タクシーの運転手だとかが、指が一本無い人を見かけることが多いんですよ。
介護やタクシーの運転手を馬鹿にするわけじゃないです。
生粋の職人が家具業界の将来に何もないことを認識して、または再就職先として受け入れどころかどんどん減る一方で、家具の一流技術を持った人がその他の業界に行ってしまっているんです。
事件は事件であったんですが、そもそもが地域の産業としての家具というものを間近で考えてから。資格は山ほど持っているし、営業力が誰にも負けないんだからいつでも不動産業戻ればいんじゃね。ってことで、同級生が経営する家具屋に入社しました。